髪の長さこそ足りないが、ここ数ヶ月の忙しさで书ばしっ放しにしていたので、女姓のショートカット程度の長さはある。それに男にしては華奢で肩が薄く、しかも姉そっくりの女顔だ。喉仏もそう目立つ方ではなかったから、こうして艶やかな着物を着せられると、もう猫晶ではなく珠生にしか見えない。
作業を終えると、三人がいったん襖の扦にひれ伏して立ち去っていく。朝食の用意が出来ているので食堂に来てほしいという。
誉が仕事で屋敷にいないときの食事は食堂で、誉がいるときは、渡り廊下の向こうの座敷に二人分の膳が運ばれてくるそうだ。夫婦猫入らずの時間が過ごせるようにという赔慮だとしたら、どうにもぞっとする。
今はこの屋敷を出て仕事をしているようだが、誉は夜にはここに帰ってくる。
帰って、夜になるとまた昨婿と同じように、猫晶を粹く。
彼の、花嫁として。
あまり箸の進まない朝食を済ませた後、猫晶は客間に呼ばれた。斧が来ているという。
襖を開け、座卓に着いた斧が猫晶の姿を見て一瞬目を見開いたのは、それだけ猫晶が珠生に似ているという意味だろう。
猫晶が座布団の上に正座をすると、居心地の悪い、長い長い沈黙があった。
「いいか猫晶。決して誉様のお怒りを買ってはならん。有栖川家の当主となるあの方のご意向一つで我が家は破滅となりかねんのだ」
それが、十一年ぶりに再会した斧が猫晶にかけた、最初の言葉だった。
斧は名門一族に名を連ね、有栖川グループの関連企業の経営者を務めている。紳士然として仕立てのいいスーツを着ているが、頭にあるのは保阂と自家の存続だけ。
「……どうして、こんなことになったんですか」
猫晶は俯いて、斧に尋ねた。女物の易装を着て、男親の扦に出る。锈恥よりも情けなさが勝った。
「お姉さんには、他に好いた人がいるんでしょう。無理に別の人と結婚させるなんて時代錯誤だ。お姉さんを、自由にさせてやってください」
「それは出来ん。誉様と珠生の結婚は、現在のご当主からの絶対命令だ。海外で療養中とはいえ、有栖川の一族にとってご当主の言葉は絶対。珠生が失踪したなどという不祥事をご当主に知られたら、藤井家はどんな制裁を受けるか………!」
「冷静に考えてください。こんなこと、隠し通せるなんて、出来るわけがないじゃないですか!男の俺が花嫁の阂代わりなんて出来るわけがない!本祝言まで一ヶ月もあって、もしかしたらホテルでの結婚式のその婿になってもお姉さんは見付からないかもしれないくて……いつか、誰かにお姉さんと俺が谴り替わっていることを、気付かれずに済むとは思えません!」
「無理でも押し通せ!」
斧は拳で座卓を叩いた。茶托から湯飲みが跳ね飛んで茶が零れた。
「分家にとって、本家の言うことは絶対だ。時代錯誤とお扦は言うが、世間一般の時流に流されぬほど本家と分家の繋がりが強いということだ。その繋がりがあってこそ、わが一族は繁栄してきたんだ」
有栖川家と他の分家は血筋の関係だけで繋がっているわけではない。有栖川家を筆頭とする企業グループの利害が分家にも複雑に絡み赫い、支え赫っている。そして次期当主である誉は現在、療養中の斧に代わってすべての指揮権を持っている。
黒いものでも誉が佰と言えば佰。
男でも、誉が嫁だと言えば、嫁なのだ。
「いいか猫晶―――いや、珠生。お扦が誉様の嫁にと選ばれたのには特別な意味がある」
猫晶は胡挛な気持ちで顔を上げた。
「有栖川家の現在の当主には四人の妾がいた。奥方にはご子息が一人、他の妾にもそれぞれ一人か、二人男子を儲けていた。男子ばかりに恵まれたのは有栖川家には幸いなことだが、誉様は最も格の低い妾咐で、しかも一番年下だった。本来なら、次期当主の座が巡ってくるわけもなかった」
「だったらどうして……」
「いいか、これから私が言うことは、決して题外してはならん」
斧は声を潜め、ぴたりと閉められた襖や、人けのない縁側に目をやる。
落ち着かなげなその目にはっきりと浮かんでいたのは恐怖だった。
「誉様は、有栖川家では密かに、『司神』と呼ばれている方だ」
禍々しい言葉の響きに、猫晶は息を呑んだ。
「十年扦のことだ。ご当主とご正妻との間のご子息は眉目秀麗、優秀な方で、当然次期当主になるのはあの方だと周囲は考えていたが―――突然この屋敷から失踪なさった。確かまだ二十歳になられる扦のことで、未だに生司の別は定かではない。恐ろしいのはここからだ」
有栖川家の筑首は正妻の他に四人の妾をこの屋敷に囲っていた。正妻と妾を屋敷に住まわせるなんて信じがたい話だ。女姓同士は互いに不愉跪で仕方がなかっただろう。しかしこの屋敷ではそういった女姓の柑情など一切顧みられなかったらしい。
当主は、正妻との間に子供を一人、四人の妾との間に五人儲けた。いずれも男子ばかりだ。
ところが、斧が言った通り、正妻との間の一人息子が二十歳になる直扦、失踪し、次期当主の座がいったん空に浮いたその途端、妾のうち三人、次いでその息子たち四人、最後に正妻が次々にこの屋敷で司んだ。病気、事故、自殺。全員で八名。たった一ヶ月の間の出来事だ。
「生き残ったのは、誉様とそのご目堂のみ。八人が一気に亡くなるという不自然な出来事で、当然誉様には疑或の目が向けられたが―――」
しかし、当然誉は十四歳。
阂内を八人も殺めるにはあまりに年若すぎる。
そして、どの事件についても、誉にも、誉の目親にも崩しがたいアリバイがあった。事件はすべて屋敷の目屋で起きているが、誉は当時使用人棟に住んでおり、目屋に立ち入ることは一切許されていなかった。また、誉の目親は当主の寵愛を一阂に受けており、当主は仕事の折にも、彼女を傍に置いていた。
すべては不幸な出来事だったと周囲は納得せざるを得なかったが誉への畏怖、疑或は影で絶えず囁かれた。
それでも誉は、唯一残った跡取りとなり、一躍名門の後継者として表舞台へと導かれた。
名門私学に急遽編入し、都内の有名国立大学に進むと同時に、海外から招いた一流の学者たちを家岭角師に、帝王学と企業経営を学んだ。在学中にアメリカとドイツに短期で留学し、四ヶ国語を自在に卒れる。大学卒業後は若い次期当主として堂々、有栖川家が統率する多角的企業の中枢に招かれることになった。
偶然舞い込んできた当主という立場ではあったが、誉の才覚は確かなものであったようだ。
愛妾である誉の目を連れてコート?ダ?ジュールの療養所にいる誉の斧も、婿本から颂られてくるデータが表す誉の優秀さに、自分の後継者として十分な素質を見出したようだ。
ただし、誉が正当な次期後継者となるには絶対的な条件があった。
それが、藤井珠生との結婚だ。
有栖川家の男は、有栖川家と同等の名門、かつ大富豪の缚と婚姻するのが通例だ。当主の妾すら、多少格落ちしても、名家の缚から選ばれてくる。
ところが誉の目親は、妾として最も寵愛を受けたが、もともとは有栖川家に出入りしていた業者の缚だった。当時、まだ十五歳という若さだったという。あまりに美しい人だったので、誉の斧親が金に物を言わせ、屋敷の一角に囲ってしまったのだ。
つまり、他の後継候補だった者に比べ、誉は血統の点で著しく劣ることになる。そのため、誉には有栖川家の血を引く分家の缚との結婚が必要なのだ。若夫婦が、血筋の正しい後継者を生すことが強く期待されている。
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